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株式会社オレンジライフ代表取締役社長兼CEO上野山栄作のエッセー多事想論

2021/11 オレンジ通信 第149号会葬御礼

11月6日父が亡くなりました。通夜葬儀にお越し頂いた皆様、また供花やご厚志を頂きました皆様方、また、インターネット配信をご覧頂いた方々、多くの皆様方に御礼を申し上げます。

父は昭和13年に旧吉備町上中島に生まれました。幼少期は第二次世界大戦でありました。終戦後、徴兵された祖父が帰り、それまで桶屋の片手間で行っていたものを、きちんと葬儀業として開業したことで、当然のごとく手伝わなければならなかったのが父の葬祭業への第一歩でした。青年期から、いつ亡くなりいつ仕事が入るかわからない大変なこの仕事に関わり、私には仕事を継がせたくないという思いを持っていました。
その頃の葬儀業の地位の低さというか、今、皆さんが考える以上に人の目は冷たかったのだと思います。父は、その改善のために自分の持てる手腕を使い、諸団体の中で自分の地位を築き上げ、地域の葬祭業への見方を変えてきたのです。警察官との交流を柱にコミュニティの形成を行い、警察官友の会の前身をつくりました。また、藤並公民館の館長として長年勤め、地域の若者との交流を行い、地域の青年団活動にも力を注ぎ、コミュニティを形成しました。晩年は66歳から商工会会長を15年歴任して、市町村合併の後の商工会の合併にも力を注いできました。その様な功績があり、今の会社の地位もあるのだと思っています。
一方で妻(母)は52歳という若さで脳出血にて、半身がうまく動かなくなったことは父にとっても家族にとっても大きな問題でした。その後、私はすぐに結婚し、数年後には実家を出たので、父は母と2人で生活する様になり、父の母への看護がはじまりました。
その頃、有田市の佐原公益社さんから合弁の話が持ち出されました。父は当初は私の負担を懸念して、他の葬儀社も巻き込んで合同会社にしようと考えていましたが、私の強い希望で、単独で会社を立ち上げました。あの時の私の意見を快諾し、私にやる気を与えてくれたことにより、今のオレンジライフがあるのだと思い感謝しています。
趣味はゴルフくらいか?と考えてみれば、若い頃から柔道を愛し、青少年たちに柔道教室を開き、名誉の6段まで頂きました。これは立派な趣味ですね。テレビで柔道の大会があれば、かじりついて観ていた父の姿が浮かびます。また、ボーリングブーム(私は小学校低学年)の頃には、よくボーリング場に連れて行かれました。大会で優勝を繰り返し、プロボーラーとも一緒に投げていた姿は目に焼き付いています。これも趣味を超えた趣味であったと思います。
私は父の背中しか見ていません。父に何かを教わった記憶はほとんどありません。ただ、気がつけば父と同じ様に、趣味は違えども、趣味を極める部分、父とは違う形での地域コミュニティの創造、仕事の面では葬儀社の地位向上と葬儀の本質の追求など、形は変わりますが、全く同じ様な生き方をしています。これは我が家の伝統なのでしょうか?縁の不思議さを感じずにはいられません。

葬儀には本当に多くの方々がお越し頂きました。私の葬儀はこんなに人が来てくださるのでしょうか?葬儀を終え、そうなる様に生きたいと思いました。父に感謝と共に葬儀に関係して頂いた皆々様に御礼申し上げます。"有難う御座いました"